今月9日付け「『別品』の国へ」でご紹介した、コラムニストのさんが急逝されました。
このコラムが亡くなる直前のものになってしまいました。
天野さんがコラム「CM天気図」を連載していた、「朝日新聞」の昨日(21日)の紙面に
「『無駄な公共事業』と批判を浴び事実上凍結されていた、全国6海峡をトンネルや橋で結ぶ構想『海峡横断プロジェクト』の復活をめざす動きが始まった。
うち一つの『関門海峡道路』(北九州市―山口県下関市)では、福岡県が事業化に向けた調査を6年ぶりに再開する方針を固めたことが21日、関係者への取材でわかった。
目的には『防災』などを掲げるが、識者からは必要性を疑問視する声もある」
という記事がありました。
身近なトンネルや橋の補修さえできないで、何を言うのでしょう。
借金返済期間を延ばして採算計画を建てても、人口減で需要も税収も減ることが分かっています。
土木建設業界の圧力に負けてしまうとは、国政を担う気概がありません。
兆円単位で20年を超える建設プロジェクトによる、長期の安定な利益源が欲しいだけの企業論理に引き摺られてはならないと思います。
岩手県山田町で無料市
2013/10/20
午前4時ごろ、宮古市役所の少し北方の浄土ヶ浜の駐車場に着きました。
ここで一休みしながら朝を待ち、午前5時半ごろ明らんでいく浄土ヶ浜を眺望して発進。津波の傷痕が残る宮古漁港を通って市内中心部へ入りました。
午前6時から営業している、和風レストランで税込み294円の納豆の朝食をいただきました。
(この値段でドリンクバー付きですから、すごいです!)
午前8時に日本共産党宮古地区委員会のボランティアセンターで、現地スタッフと合流。
あいにくの小雨の中、15名ほどで、私たちが先にトラック便で届けた荷物や岡山県津山・新見両市の後援会が贈られた荷物を6台の車に積み込んで山田町へ出発。
山田町の仮設住宅の多くは、公共施設の敷地の中の空き地などの公有地に、数軒から十数軒の小さなものが点在している模様でしたが、この日の市の会場(関口農業担い手センター)の敷地には36軒が建っていたようです。
会場で盛岡や現地周辺のスタッフと合流。30名ほどのスタッフが、支援物資を陳列したり、被災者に帰り際に渡すために3Kg入りの米と洗剤と野菜(北海道のじゃがいもや岡山県新見後援会の大根など)のセットなどの準備に汗を流しました。
私たちが会場に着いたときにはもう、小雨の中を20人ほどの被災者が並んでおられましたが、11時の開場前には100人近くに膨れ上がり、市の1時間ほどの間に銘々の希望の品を持ち帰られました。
季節柄防寒着・毛布などが瞬く間に無くなりました。
後片付けの後、田中尚・宮古地区委長に義捐金を手渡しました。
現地の皆さんとお別れした後、東北道で岩手県・宮城県を一路南下し、仙台南IC近くの秋保(あきう)温泉で2日間の疲れを癒し、東北の秋の味覚を楽しみました。
東北は観光シーズンですので、ホテルはなかなか見つかりませんでした。スタッフの一人があちこちに電話を掛けて、やっと秋保温泉に1泊12000円という私たちにはもったいないほどのホテルが見つかりました。「蘭亭」という本当に立派なホテルです。
(もちろん、宿泊代や全日程の食費などはスタッフの負担です。)
ここで一休みしながら朝を待ち、午前5時半ごろ明らんでいく浄土ヶ浜を眺望して発進。津波の傷痕が残る宮古漁港を通って市内中心部へ入りました。
午前6時から営業している、和風レストランで税込み294円の納豆の朝食をいただきました。
(この値段でドリンクバー付きですから、すごいです!)
あいにくの小雨の中、15名ほどで、私たちが先にトラック便で届けた荷物や岡山県津山・新見両市の後援会が贈られた荷物を6台の車に積み込んで山田町へ出発。
山田町の仮設住宅の多くは、公共施設の敷地の中の空き地などの公有地に、数軒から十数軒の小さなものが点在している模様でしたが、この日の市の会場(関口農業担い手センター)の敷地には36軒が建っていたようです。
会場で盛岡や現地周辺のスタッフと合流。30名ほどのスタッフが、支援物資を陳列したり、被災者に帰り際に渡すために3Kg入りの米と洗剤と野菜(北海道のじゃがいもや岡山県新見後援会の大根など)のセットなどの準備に汗を流しました。
季節柄防寒着・毛布などが瞬く間に無くなりました。
後片付けの後、田中尚・宮古地区委長に義捐金を手渡しました。
現地の皆さんとお別れした後、東北道で岩手県・宮城県を一路南下し、仙台南IC近くの秋保(あきう)温泉で2日間の疲れを癒し、東北の秋の味覚を楽しみました。
東北は観光シーズンですので、ホテルはなかなか見つかりませんでした。スタッフの一人があちこちに電話を掛けて、やっと秋保温泉に1泊12000円という私たちにはもったいないほどのホテルが見つかりました。「蘭亭」という本当に立派なホテルです。
(もちろん、宿泊代や全日程の食費などはスタッフの負担です。)
— posted by 神原 at 10:57 pm Comment [0] TrackBack [0]
広島県東部地区の第6次東北ボランティアに参加
2013/10/19
明日(20日。日曜日)に岩手県山田町で、日本共産党岩手県盛岡地区委員会・岩手県宮古地区委員会・広島県東部地区委員会の3地区委員会共催で、東北大震災復興支援の無料市を開きます。この市は盛岡・宮古地区合同で20回目、山田町で7回目の市になります。
東部地区では、この市に向けて9月初旬に、市で被災者に差し上げる支援物資の提供、義捐金・荷物の運送費・スタッフ派遣費用の募金、復興支援物資(佃煮「あかもく」)の購入、スタッフ参加を訴えるチラシを各民主団体機関紙に折り込みするなどして、取り組んできました。
東部全域から募金・衣類・寝具・食器・お米・CD・絵本・文庫本などがたくさん提供されました。
支援物資は、15日(火)に宮古地区委員会のボランティアセンターにトラック便で前送しました。
そして、今朝8時にスタッフ5人が1台の乗用車に乗り込んで出発しいました。
交替で高速道路など1350kmを走り、20時間ほどかけて宮古市に向います。
今回東部地区委員会から参加するスタッフは、75歳の方もおられ、一番若いのが56歳の私です。
普段自動車を運転しておられるけれども身障者の方もおられ、私はいわばアッシー君です(^^)。
がんばります!
東部地区では、この市に向けて9月初旬に、市で被災者に差し上げる支援物資の提供、義捐金・荷物の運送費・スタッフ派遣費用の募金、復興支援物資(佃煮「あかもく」)の購入、スタッフ参加を訴えるチラシを各民主団体機関紙に折り込みするなどして、取り組んできました。
東部全域から募金・衣類・寝具・食器・お米・CD・絵本・文庫本などがたくさん提供されました。
支援物資は、15日(火)に宮古地区委員会のボランティアセンターにトラック便で前送しました。
交替で高速道路など1350kmを走り、20時間ほどかけて宮古市に向います。
今回東部地区委員会から参加するスタッフは、75歳の方もおられ、一番若いのが56歳の私です。
普段自動車を運転しておられるけれども身障者の方もおられ、私はいわばアッシー君です(^^)。
がんばります!
— posted by 神原 at 05:17 pm Comment [0] TrackBack [0]
23日に「にひっとトーク」
2013/10/18
日本共産党中国ブロック事務所から、標題のネット番組の案内がありました。
15日に臨時国会も開会されました。
仁比聡平参院議員が、23日にネットで国会報告をおこないます。
聞き手は、石村智子中国ブロック国民運動委員長。
下に案内のチラシを添付します。
ぜひご覧ください。
15日に臨時国会も開会されました。
仁比聡平参院議員が、23日にネットで国会報告をおこないます。
聞き手は、石村智子中国ブロック国民運動委員長。
下に案内のチラシを添付します。
ぜひご覧ください。
添付ファイル: にひっとトーク131023チラシpdf
— posted by 神原 at 08:20 pm Comment [0] TrackBack [0]
神奈川県真鶴町の「まちづくり条例」
景観と住環境を考える全国ネットワーク(景住ネット)の会員の方から、神奈川県真鶴町の「まちづくり条例」の以下のような感想が寄せられましたので、ご紹介します。
9月11日にも、この条例(「美の条例」)に触れていますので、そちらもご覧いただければ幸いです。
====================================
20年前。町の人の決意がこの条例になった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
真鶴町は自然も豊かで、人が人らしく生きることができる町。
日本中に真鶴町のように自然に合わせて過ごせる町が増えれば…!と、思っていました。
が、今、東北(仙台市、気仙沼市、釜石市など)で町つくりに取り組む方々から真鶴町の『美の条例』が注文されているようです。
また、そうした街から真鶴町役場に『美の条例』について学びにこられる方もあります。
『美の条例』は、バブル時期にマンション建設ラッシュから真鶴町の豊かな自然を守るために、町と町民が一体となって出来た条例。
この条例によって、当時40件ほどの建設事業が中止になったそうです。
国とは独自に作られた、この『美の条例』は作られるまでにさまざまなドラマがありました。
今、私たちが豊かな自然の中で過ごし、遊べるのも勇気ある先輩方のお陰なのですね…!
東北でもいろいろな復興事業が進められているようです。
1000年先の地球や子供たちにもつなげていける町つくりが行われて欲しいと、心から願っています。
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9月11日にも、この条例(「美の条例」)に触れていますので、そちらもご覧いただければ幸いです。
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20年前。町の人の決意がこの条例になった。
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真鶴町は自然も豊かで、人が人らしく生きることができる町。
日本中に真鶴町のように自然に合わせて過ごせる町が増えれば…!と、思っていました。
が、今、東北(仙台市、気仙沼市、釜石市など)で町つくりに取り組む方々から真鶴町の『美の条例』が注文されているようです。
また、そうした街から真鶴町役場に『美の条例』について学びにこられる方もあります。
『美の条例』は、バブル時期にマンション建設ラッシュから真鶴町の豊かな自然を守るために、町と町民が一体となって出来た条例。
この条例によって、当時40件ほどの建設事業が中止になったそうです。
国とは独自に作られた、この『美の条例』は作られるまでにさまざまなドラマがありました。
今、私たちが豊かな自然の中で過ごし、遊べるのも勇気ある先輩方のお陰なのですね…!
東北でもいろいろな復興事業が進められているようです。
1000年先の地球や子供たちにもつなげていける町つくりが行われて欲しいと、心から願っています。
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— posted by 神原 at 07:38 pm Comment [0] TrackBack [0]
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