神奈川県真鶴町は、リゾートマンション計画を契機に1993年に「まちづくり条例」を制定、翌年施行しました。
この条例は、「まちづくり」条例としても、法令上「美」を規定した点でも先駆的なものでした。
また、この条例は、私が住む福山市の「鞆の浦」の架橋計画に反対し景観を守る住民の運動を励まし、2009年10月に広島地裁が地域住民の景観利益を認め、広島県に対し埋め立て免許を差し止めるよう命令する上でも大きな力になりました。、
真鶴町の三木葉苗さん(三木元町長の娘さん)が、ブログhttp://hanaeletters.sblo.jp/article/74599931.html
に「『美の基準』についての覚え書き」を記しておられます。
この方の声にぜひ耳を傾けてください。
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「美の基準」についての覚え書き
80年代後半、
大きな大きな経済の波が、真鶴町にも押し寄せてきました。
この小さな半島に、持ち上がったリゾートマンション建築計画は、
全部で43棟。
そのすべてが、国の建築基準法・都市計画法に見合ったものであり、
県の指導にも従っているのだと、
当然のように、財産権・建てる権利を主張してきます。
国の法律で、真鶴町は守れない。
「きちんとした拘束力のある、この町独自の条例をつくる必要がある。」
自己水源の乏しい、真鶴半島の現実的な弱さを武器に
基準以上の大きさの建築物には水を供給しないという「水の条例」
建蔽率・容積率に加え、風致地区や、細かな基準を設けて、景観を守る「美の条例」
2段階の条例構想をかかげて立ち上がったのが、私の父でした。
このように小さな町が、独自の法律を設けるというのは、
並大抵のことではありません。
開発業者だけでなく、国や県も圧力をかけてきます。
そして、規制の厳しい条例に、住民からも様々な主張が起りました。
各所をまわり、「話し合い」に力を尽くす日々。
当時の父との会話で、私の胸に深く刻まれているものがあります。
「建蔽率50% 容積率200%という数字を見て、厳しすぎるという意見があるが
今現在、この真鶴にたつ建物の中で、この基準に反しているものなどほとんどない。
自分たちはずっとこのように暮らしてきた。
もちろん土地所有権・財産権を主張することはできる。
けれど、自分の権利を主張することで、隣の人の権利を侵すようなことはよそう。
ただそれだけのことなんだ。」
”美”という主観的なものを、どのように客観的な言葉におきかえるのか?
「この土地に人が住み、集落を形成し始めた頃から考えると、
真鶴には1000年の歴史がある。
その時間の重みを加えることで、その営みを言葉にかえることで、
真鶴独自の”美”を客観的、かつ、普遍的なものにすることができる。」
1993年に制定され、翌年に施行された「美の基準」によって
当時の開発計画の、ほぼすべてが白紙に戻されました。
私は今日も、懐かしい町並みを歩き、
鬱蒼としたお林に分け入り、木々の隙間から、かがやく海を眺めています。
その暮らし方ひとつで、
その生き方ひとつで、
私たちは、大きな力に打ち勝つことができる。
それが「美の基準」が私に教えてくれたことです。
できあがった条例の素案をもって、説明にまわる父は、
「これを真鶴の”決意”と受けとめてほしい。」といいました。
施行から来年で20年。
平易であたたかく、芯の強い言葉で綴られた真鶴の決意が
改めて多くの人に読み継がれ、受け継がれていくことを心から願います。
2013年9月11日 三木 葉苗
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