法要は本当は今日行うのが正式であるようですが、昨日(26日)済ませました。
母はおよそ30年間ウィルス性肝炎を患い、肝癌のために享年77歳で逝きました。
まだ母が記した電話帳(住所録)を使っていますので、時々まだ生きているようにも感じます。また時々にもう逝ってしまったのかとも思います。
10歳のとき父がサイパンで戦死し、母と2人の弟と戦後を生き抜いてきました。
高校への進学を希望しましたが貧しさのために叶わず、中学卒業と同時に労働者になりました。
勤務先で私の父と知り合い、18歳で結ばれ、農家の嫁になりました。
私の曾祖母、祖母、3人の義理の弟妹に仕え、後には私たち4人の息子や娘を育てました。
30歳を過ぎて通信高校に学び、私が高校に入学するのと入れ違いに卒業しました。
日中は厳しい労働に耐え、夕方からは下は3歳の4人の子どもたちを育て、夜の薄暗がりの中で、時には舟をこぎながらTVの通信高校講座で学んでいました。
生活は言葉にできないほど大変だったことでしょうが、学ぶ毎日は母にとっては遅い青春そのもので、喜びの日々だったことでしょう。
最後の1年半は、経営する4階建てのアパートの西南隣に11階建ての分譲マンションが説明会も無しに建築され、反対・抗議行動などを闘いました。
2011年の夏には、ずいぶん体がだるかったことでしょうに、私たちには気取らせずに、2週間に一度の炎天下の抗議行動に参加しました。
その頃からのおよそ1年間は、マンション業者が父や私を裁判にかけましたので、ずいぶん気をもんだことでしょう。
(マンション業者は私たちに1億円以上もの「損害」の賠償を求めて提訴しました。
が、後に急に和解を求め、結局私たちに900万円の和解金を支払いました。
この業者にも、先住者たちの景観すら守れない「建築基準法」などの建築法制にも、私たちは今も怒り心頭です。)
もっと親孝行をしておけばよかったと痛感します。
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