福山生活と健康を守る会第16回総会

 福山生活と健康を守る会が満15周年を向え、第16回総会が福山城・月見櫓を会場にして開かれました。
 会場一杯の40名近い参加者で盛大な総会になり、旧年度の活動・会計のまとめをし、新年度の方針・予算・役員を確立しました。

 昨年から1年間、私が会長を勤めさせていただきました。
 が、私は古本屋やその他の任務との二足・三足・・・・の草鞋(わらじ)という状態です。 「生活保護など福祉への攻撃が露骨に強まる中、任務に専任できる方に会長を引き受けいただいてほしい」とたってのお願いを繰り返しました。

 結果、立派な方に会長をお引き受けいただき、私は不相応な任務を解いていただくことができました。
 まことにありがたいことですし、会の将来も明るいと確信しています。

— posted by 神原 at 08:37 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

お詫び

 10日ぶりの記録として、「お詫び」を記します。
 
 毎日多くの方がこのブログをお訪ねくださり、本当にありがとうございます。
 毎日さまざまな活動をし、色々なことを考え、時にはブログでご紹介しようと写真を撮るのですが、なかなかブログを更新できません。
 本当に申し訳ございません。
 
 今日(2日)も福山生活と健康を守る会の仲間たちと、広島市で開かれる講演会に参加します。
 8人乗りのワゴン3台で山陽道を往復し、私も運転する予定です。
 仲間の命を預かっていますので、もう寝まなければなりません。

 近々2月中の数日の分を含めて、更新したいと考えています。
 またぜひこのブログをお訪ねください。

— posted by 神原 at 12:28 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

曙町のし尿処理施設建築工事、強行の暴挙!

 福山市は、14日の日本共産党福山市議団主催の市民要求懇談会の項で触れた、曙町のし尿の中継施設=新浜浄化センターの新築工事に強制着工したそうです。
  
 現地では、新施設建設予定地の樹木が倒され、工事車両が入っていると
村井あけみ市議会議員がブログ http://wredpowerppp.blog.fc2.com/Link
で伝えておられます。
 ぜひ同ブログをご覧ください。

— posted by 神原 at 11:32 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

多喜二80回忌・・・火を継ぐ者たち

 今日(2月20日)は、多喜二が虐殺されて80年の祈念日です。
 昨(19)日付けの「しんぶん赤旗」10面に、随時掲載の「没後80年 小林多喜二と現代④」が載りました。

 筆者の荻野富士夫さん(小樽商科大学教授)は、
「多喜二は32年4月に地下に潜行して以降、早晩の検挙と拷問での死をも覚悟していた節がある。9月に最後に母セキと会った際、『今警察に捕らえられたらどんな目に会うか判らないが、こうした時世に生れ合わせたのが自分の不運』としつつ、『屹度(きっと)いつかの時代には自分達の考え方が世間の人にも納得出来ることになろう』と語っていたのである(『母の語る小林多喜二』)。『何代がかりの運動』(「東倶知安行」)からいえば、まだ発端に近いところの犠牲の一つであり、『火を継ぐもの』が続くことを確信していた。
 あらためて、なぜ多喜二が33年2月に殺されるのか、と問えば、多喜二自身が(「一九二八年三月十五日」に=神原注)つづく「蟹工船」以降も新たな創作課題を設定・実行し、プロレタリア文学の幅と奥行きを広げ、『典型的な、理想的な、左翼の戦士』(多喜二没後の大宅壮一の皮肉抜きの発言)に成長していったことに、特高警察を先兵とする支配者層の脅威が集中したからといえる。
 そして、その脅威を現実的なものとしたのは、32年以降の、藤倉工業の毒ガスマスク製造工業労働者の反戦活動を描いた「党生活者」をはじめとする多喜二の小説・評論、そして日本プロレタリア作家同盟書記長として、日本反帝同盟執行委員としての実践活動が、すべて「満州事変」後の反戦・反軍運動に収斂(しゅうれん)していったことである。
 多喜二虐殺の報に、フランス共産党の機関紙「ユマニテ」は『過去数ヶ月間に彼は決然として、極東における帝国主義的略奪戦争および反革命戦争に抗する運動の先頭に立ち続けていたのだった』と的確に記し、『彼の不屈の革命的活動は日本帝国主義の脅威となっていた』と評価した。この再確認こそが、多喜二虐殺80周年の大きな意義であろう」
と記しておられます。

 お見苦しかったでしょうが、ほぼ後半の全てを引用してしまいました。
 ぜひ昨日付けの全文に目を通してください。

 火を継ぐ、多喜二後3・4代目が私たちなのですから。

— posted by 神原 at 01:55 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

格差の解消を

 私は、「生活保護費の削減などとんでもない。『健康で文化的な県香典文化的な最低限度の生活を営む権利』(日本国憲法第25条)を保障するためには、月額数万円の増額が必要」と考えています。
 一方で、この国や地域社会の指導的立場にあったり、全体の奉仕者であるべき人たちと、社会的弱者である人たちとの経済的格差が大きくなるばかりであることが気がかりです。

 福山市の生活保護費は、高齢者の単身世帯の場合、年47万円の住宅扶助を加えても年額140万円ほどです。
 一方、福山市の約3000人の職員には、一人当たり年624.6万円の給与が支払われています(※1)。
 市長には月額108万6000円(類似団体における最高/最低額は118万円/76万円)、市議会議員には月額63.5万円(類似団体における最高/最低額は70万円/51万円)、市長も議員も期末手当は年3.95ヶ月ですので、年15.95ヶ月分が支払われています(※2)。
※1・2=「21011年度(平成23年度)福山市の給与・定員管理等について」より。http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/data/fd_18mruggija3hat/downfile5542532601.pdfLink

 国会議員は月額137.5万円+期末手当て(ボーナス相当)718万円で、年収はざっと2400万円。これに毎月100万円の文書交通費、JR各社や航空会社の特殊乗車券(航空券)なども提供され、公務出張の場合は別途実費の交通費等が支給され、国会議員の所属する会派には、一人当たり毎月65万円の立法調査費が支給されるそうです。
 また、国会議員一人当たり三人の公設秘書の給料が、三人でざっと2000万円支給されるそうです。
 つまり、国会議員一人に年間6400万円以上が直接費だけで必要だといいます。

 いくら見識があるから、仕事ができるからといって、生活保護受給者の数人分~数十人分もの報酬をお手盛りで受け取ることが許されるものでしょうか。
 例えば、もう10年ほどの前のことですが、福山市の職員である友人に「神原君。本当に市民の皆さんの生活は苦しいのか?」と尋ねられたことがあります。
 このように、市民感覚・生活感覚が欠如した職員・市長・議員に、本当に見識があるのでしょうか?仕事ができるのでしょうか?

 企業も自治体も国も、高額の報酬を受け取る人たちの報酬を下げて、低所得者に回し、両者の格差を無くしていくことが緊要ではないでしょうか?
 高額所得者の収入はなかなか消費には回されません。でも、低所得者の収入はほとんどが家計費として消費されます。
 ですから、格差の解消こそ、デフレ脱却のためにも不可欠だと思います。

— posted by 神原 at 10:25 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

T: Y: ALL: Online:
ThemeSwitch
  • Basic
Created in 0.0089 sec.
神原卓志(かんばらたくし)です。
prev
2024.12
next
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31